マグマックス・ファイブを脱退した原田さん、そしてバインズから籠利さん・谷田部さんが参加し、1967年(昭和42年)10月頃、ポニーズが結成されました。
ポニーズがレコードデビューするのは1968年(昭和43年)8月なので、結成からレコードデビューまでには少し時間がありました。
その間、メンバーのみなさんはどのように過ごされていたのでしょうか?
初期のメンバーの動き
まったく知られていないと思いますが、ポニーズは、初期と末期に何度かメンバーの入れ替わりがありました。
・谷田部進(サイドギター)
・一條(ベース)
・籠利達郎(ドラムス)
初期には他にも何人かいたようですが、ごく短い期間で脱退したようです。
初期メンバーでやっていた頃は、谷田部さんはサイドギターで、一條さんがベースでした。
一條さんは、ポニーズがデビューする前、半年ほどの期間を一緒に練習していたようですが、途中で脱退。
その後、原田さんの紹介で橋本さんが加入します。
橋本さん加入後は、谷田部さんがベースにまわり、橋本さんがサイドギターに。
デビュー時のメンバーがここで揃いました。
・橋本直樹(サイドギター)
・谷田部進(ベース)
・籠利達郎(ドラムス/リードボーカル)
デビューまでの活動
ポニーズ結成からデビューまでの期間は、おもに新宿「フォーク・ビレッジ」で練習と定期的にライブをやっていました。
また、デビュー前には、利根常昭さんに何度かレッスンしてもらったことがあったそうです。
利根さんは、GSの曲の作詞・作曲も手掛けた方で、
・サベージの「この手のひらに愛を」「空は僕達のもの」
・スパイダースの「太陽の翼」
・リンド&リンダースの「恋にしびれて」「銀の鎖」
…などは利根さんの作品です。
レッスンは、先生のお宅へ行って受けていたそうです。
デビュー直前の茨城合宿
デビュー直前の68年7月下旬ころ、ポニーズのメンバーは、茨城県内で合宿生活を送りました。
気合入っていますね!
練習場所は、村の集会所のようなところ。
周辺は畑ばかりで、音出しするのには最高の環境だったようです。
そんな素晴らしい環境のなか、みんなでサボって近くのプールに遊びに行ってしまったりと、とても楽しい合宿生活を送られたようです(笑)
もちろん、ちゃんと頑張って練習もされていたことと思います。
合宿中には、近隣に住んでいるお年寄りを集めてミニライブを開催!
ビートルズの曲を披露するも、お年寄りはみなさんキョトンとしていたとか…(笑)
その画を想像すると、なんだかホッコリ。
とても微笑ましいですね☆
ファンとの距離も近く
そうして、68年8月、ポニーズはついにレコードデビューの日を迎えます。
デビューするにあたって、ファンクラブなど設立されたのか気になったのですが、ポニーズには正式なファンクラブはなかったようです。
ただ、ファンクラブがなくとも、活動の拠点となっていた「フォーク・ビレッジ」でお客さんとのコミュニケーションが取れていたそうで、ライブ後にお店の外でサイン会などをしていたそうです。
直接交流できるなんて、ファンにとっては何よりもうれしいこと。
「フォーク・ビレッジ」は こじんまりとしたお店だったようですし、ファンとの距離がとても近かったのですね。
そして、ポニーズはデビュー後も「フォーク・ビレッジ」のステージに立ち続けます。